1.社外取締役の選任の義務付け


「監督」と「監査」を混同してはならない。
取締役会が業務を決定する以上、当該業務を執行する取締役と取締役会はPDCAサイクルを構成する協業関係であり、対立関係ではない。
「執行と監督の分離」という概念は、本邦の監査役設置会社の取締役会にはなじまない。

【中間試案】
社外取締役の選任の義務付け
【A案】 監査役会設置会社(公開会社であり,かつ,大会社であるも のに限る。)において,一人以上の社外取締役の選任を義務付け るものとする。
【B案】 金融商品取引法第24条第1項の規定により有価証券報告書 を提出しなければならない株式会社において,一人以上の社外 取締役の選任を義務付けるものとする。
【C案】 現行法の規律を見直さないものとする。



【意見】
C案に賛成。A案・B案には強く反対。

【理由】
補足説明で列挙されている社外取締役の経営監督機能は、「議決権の行使を通じて」という要素以外は監査役の監視機能と重複、かつ、その監視機能は監査役の方が優る。
また、議決権の行使は監督に必須の機能とは言えず、社外取締役選任義務付けの積極的根拠としては弱い。
特に、利益相反の監督機能は、完全に監査役の守備範囲内である。

【説明】
社外取締役選任義務付けの目的は「監督の強化」とされているが、これには以下の問題がある。
1)取締役会における「執行と監督の分離」はそもそも限界があるし理論上も疑問。
・ 本来の取締役会の「監督」とは、業務のPDCAの「C」である。取締役会の「P」に基づき業務執行取締役が「D」を行い、取締役会はその結果を「C」=モニターする。執行と監督は対立するものではなく、協業するものである。故に、業務執行取締役のみで構成される取締役会であっても「監督」は成立する。「監督」と「監査」は別物であり、混同してはならない(後記補足1)。
・ 社外取締役を含む取締役は、業務の決定に関与し、当該決定において異議を述べなかったときは決定に賛成したものと推定される。決定者が自ら決定した業務の執行を牽制することには限界がある(後記補足2)。
・ 会社法制定時の立案担当者による解説で「執行と監督の分離」という概念が述べられていないのは、上記のような理由によるものと考える。
2)社外取締役に期待される監督機能として挙げられているものは、いずれも議決権が必須とは考えられない。また、「議決権の行使を通じて」という要素以外は、いずれも監査役が果たすことができ、かつ、果たすべき機能である。任期の長さ、執行からの独立性(どころか独任制により他の監査役からも独立)や強大な調査権限を考えれば、監査役、特に社外監査役の経営監視能力は社外取締役よりはるかに強いとさえ言える。
さらに、監査役が議決権を行使できない(役員人事権がない)ことについても、例えば「監査・監督委員会設置会社」の案の「(2)監査・監督委員会の構成・権限等」の注で提示されている「(監査役に、)取締役の選任に関する意見陳述権を与える」などの方法により補完し得るものであり、社外取締役選任義務付けの積極的根拠としては弱い。
多数の法曹・学者や社外取締役ネットワークの主張は、欧米型モニタリング・モデルに依拠し、業務執行の牽制を社外取締役にのみ求めている。その議論には、監査役への言及はほとんど見られず、あっても「欧米にはない制度で理解されない」程度である。
監査役制度を正当に評価していないし、監査役による監視では何が不足なのか、社外取締役によってその不足点がカバーされるのか、の説明がない。
荏原・トライアイズ・春日電機の例を見てもわかるように、業務執行取締役に真に対抗できるのは監査役であることを認識すべきである。
社外取締役が業務の決定に参画する限り、その機能は助言が中心であり、社外取締役による業務執行者の牽制は、助言機能の延長として経営者の暴走を止めるという種類のものと考えるべきである。

【補足1】
「監督」と「監査」の相違について補足する。
取締役会における「監督」(法362条2項2号)は、本来執行と対立するものではない。
「もしドラ」ではないが、高校の野球部を例に考えよう(但し、「野球部の監督」という地位に特化した人はおらず、部員の自治に近い運営とする)。
チームの方向性や強化計画はチーム会議【取締役会】で決定する【「P」業務の決定】。
各パートリーダー【業務執行取締役】は、それを所定の分担で執行する【「D」業務執行】。
パートリーダーは、定期的にチーム会議でその進行状況を報告する【業務執行状況の報告】。
チーム会議メンバーは、パートリーダーの報告を通じて各パートの活動状況を共有し、チーム会議で決定した方向性・計画に沿っているかを検証し、意見を述べる【「C」監督】。
それを踏まえ、チーム会議は、必要に応じチームの方向性・強化計画等を修正する【「A」業務の決定】。
このように、執行と監督がPDCAサイクルを形成しているのである。そして、PDCAの「C」、すなわち「“P”に沿っていることのモニタリング(とPの修正要否の確認)」こそが、取締役会の監督の本質である。
少なくとも、監査役設置会社の取締役会は、この例のような、共通の目標を共有する者で形成されるチームであり、受験者と採点者のような対立関係に例えてはならない。
ここで、サッカー部のキャプテンにチーム会議に入ってもらったら【社外取締役】どうだろうか?
チーム強化の方向性や強化計画への有用な意見は得られるであろう【助言機能】し、チーム会議でキャプテンが独裁に走るのを抑止する効果はあるかもしれない【全般的監督機能】。
しかし、このような外部者を入れることは有用であるかもしれないが、必須とは言えない。むしろ、情報管理リスク等、心配の種が増大するデメリットもあろう。
ここで、部の顧問の先生にチーム会議に入ってもらったら【親会社派遣取締役】、助言機能・監督機能とも強化されるであろう。
一方、部費の使用状況は、部員自身やマネージャーでなく独立性を持つ者がチェック【監査】すべきであるのは言うまでもない。

このように、取締役会構成員全員が業務執行取締役であっても「監督」はできる(でなければ法362条2項2号はあり得ない。この条文は、監査役設置会社の取締役会すべてに適用されるのだから)。また、親会社派遣取締役は、監督者としてふさわしいとも言える。
これが中央大学の大杉謙一教授が論じておられるとおり「監督」と「監査」を区別すべきゆえんである(「商事法務」誌No.1941・1942)。
そもそも、取締役会が業務を決定する以上、「執行と監督の分離」というのは無理がある。
「執行」と「監督」が対立するものならば、取締役会が決定した業務が不適切でその業務が執行された結果会社に損害が生じた場合、その責任は執行者と取締役会構成員のいずれが負うというのか?(中小企業融資に特化していた銀行において、取締役会主導で「融資が伸びないために収益強化のためノンバンクからの債権買入業務中心に転換する」方針とそれに基づくアグレッシブな収益計画を決定し、執行者がそれに従い経営し、結果的に買入債権の瑕疵により大きな損失を出すようなケースを想定すればよい。)
また、「利益相反の監督機能」に至っては、監査役の権限が内部統制システムの監査に及んでいることを勘案すれば、監査役の監視機能で完全にカバーされる。
この理解においては、少なくとも「監督」のために社外者を入れることを強制すべきものとは考えられない。
(学者委員の方々は、ご自分の大学の教授会や理事会になぞらえて、学外者がマジョリティを占める会議体の意義と必要性をお考えになるとよいと思う。)

【補足2】
上記「補足1」に加え、社外取締役と監査役の業務執行者牽制機能に絞って補足する。
取締役は、取締役会議事録に異議を留めなかったときは、当該議案に賛成したものと推定される。
従って、社外取締役は、取締役会において業務の決定に参画する際には、自由な心証に基づき積極的に異議を述べるインセンティブがある。
しかし、異議なく決定された業務が執行された結果、問題が発生した場合、社外取締役は自らが賛成した業務の決定に過誤があった可能性をおそれ(上記「補足1」の銀行の例を参照)、業務執行者を自由に追及できなくなるのである。
一方、現行の監査役は、業務の決定に賛否を表明しないのでそのようなモラルハザードがない。
業務の決定に過誤があった場合、監査役にも当該業務決定時に異議を述べなかった責任はあり得るが、あくまでも決定に賛成したのではなく過誤を見逃したという立場である(オリンパスではそれでも巨額の責任を追及されているが、次文参照)。
更に、取締役は、不正な事象を発見した時は監査役(会)に通報するのが義務であり(法357条)、その追及は必ずしも義務とは言えないが、監査役は不正な事象を知ったが最後、それを追及しないと本質的な任務懈怠となる。
故に、監査役(特に社外監査役)の場合は、業務執行者を追及し問題を極小化するインセンティブが働くはずである。
監査役(特に社外監査役)は、ある意味業務に無責任であるが故に、監視と牽制の力が強いのである。
このように、取締役会における議決権は、業務執行の牽制にはネガティブに働く可能性があることを認識すべきである。
また、そのような社外取締役のモラルハザードを縮小するために取締役会で決議すべき事項を縮小する(※)のは、少なくとも監査役設置会社(=取締役会で業務を決定するのが基本)においては本末転倒であろう。
((※)前記大杉教授論文ほか。監査・監督委員会にはこのコンセプトが採用されているが、ここではコメントしない。)

【補足3】
取締役会の「監督」については、人事・報酬等、取締役の評価が中心であるかのように議論されることが多い(前記大杉教授論文ほか)。
しかし、取締役会の本来の存在意義は、経営資源配分のPDCAの「P」と「C」を行うことであり、その「C」、すなわち、当該配分の適正度を評価することが監督の本質である。
人事・報酬等、個々の取締役の業績の評価は、経営資源配分の評価という監督全般の中では派生的なものと位置づけるべきである。



【付: 中央大学大杉謙一教授の「商事法務」誌No.1941・1942論文へのコメント】
委員会設置会社は、「執行と監督の分離」によりガバナンスを強化した形、というより、執行者に広範なフリーハンドを与える(欧米的な)「攻めの経営の形」という側面が大きい。
ガバナンスの強化と見られるのは、執行者の権限強化の半面、ブレーキを強化したものと理解すべきである(現在委員会設置会社の形態をとっている大企業の多くは、おそらく法で認められる最大限の権限を執行役に委譲しているはずである)。
中央大学の大杉教授は、「商事法務」誌No.1941・1942の論文において、法における委員会設置会社と監査役設置会社の規定を比較し、後者の取締役会決議事項に「経営の基本方針(法第416条第1項第1号イ参照)」が規定されていないことを問題視しておられる。
しかし、法第416条の規定は、「委員会設置会社においては重要な業務の決定の相当部分が執行役に委譲されうるが、経営の基本方針の決定は最低限取締役会に留保すべし」という趣旨であろう。
監査役設置会社の場合は、重要な業務の決定全般が取締役で行われる(法第362条第4項。各号はその注意的例示。)ために、「経営の基本方針」の決定は当然それに包含されるのであり、大杉教授のご指摘には賛成できない。
(先生のその他の提言も、「当該案が案としてあり得る」に留まり、「当該案がベストである」という根拠づけが弱いように感じた。読み込み不足で詳細は論じられないが、とりあえず、問題点が明らかな上記の点についてのみ指摘しておく。)




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